ドラマ『良いこと悪いこと』でなぜ、“2001年の名曲”アゲハ蝶が主題歌に選ばれたのか──その選択には、ただの懐メロ起用以上の“意味と仕掛け”が隠されているようです。
特に、“しの”(=作品中のキャラクター)に関する謎や秘密と、アゲハ蝶の歌詞やモチーフの“蝶”が重なることで、物語にさらなる深みが生まれています。
この記事では、「なぜ今アゲハ蝶なのか」という演出意図と、“しの”を含むキャラたちの関係性における歌・蝶の象徴性を、「キャラ別考察」という視点で読み解きます。
- ドラマ『良いこと悪いこと』とアゲハ蝶の深い関係性
- しのというキャラクターと“蝶”モチーフの象徴的意味
- 歌詞・映像演出に隠された伏線や心理描写の読み解き方
なぜ『良いこと悪いこと』にアゲハ蝶が主題歌として選ばれたのか
ドラマ『良いこと悪いこと』の主題歌として、2001年リリースの名曲「アゲハ蝶」が採用されたことに、驚きを感じた人も多いのではないでしょうか。
一見すると懐かしのヒットソングという印象ですが、実はこの選曲には深い意味と意図が込められているように感じられます。
“ただの主題歌”としては収まらない、物語との強いリンクに注目することで、作品の世界がより一層立体的に見えてきます。
昭和/平成(懐メロ)が呼び起こす“過去と現在のつながり”
『良いこと悪いこと』は、卒業アルバムに黒塗りされた“しの”という存在を軸に、過去の記憶が現代に繋がっていくサスペンスです。
この構造と、平成初期を象徴するような「アゲハ蝶」の懐かしさは、物語の時間軸を視聴者に自然と意識させます。
特に「2001年」というリリース年は、20年以上前=“事件が起きた時期”と重なるタイミングであり、過去を呼び戻す装置として非常に効果的です。
懐かしさと“不気味さ”のギャップが生むミステリアスな空気
「アゲハ蝶」は一見、エモーショナルで美しいメロディを持つバラードです。
しかし、その歌詞をじっくり読み込むと、“孤独”“帰る場所の喪失”“再会できた奇跡”といった、どこか不穏で切ないテーマが隠されています。
この明るくキャッチーなメロディと、深く重たいテーマのギャップは、ドラマ全体の不気味さや緊張感と絶妙にリンクしています。
結果として、視聴者は「なんとなく懐かしい」と思いながらも、心のどこかで「何かがおかしい」と感じるという、独特な緊張感を味わうことになるのです。
“蝶”が象徴するもの――再生、記憶、そして償い
『良いこと悪いこと』というタイトルからも分かるように、このドラマは“罪と罰”“記憶と真実”という重いテーマを扱っています。
そこに添えられた「アゲハ蝶」という楽曲には、美しさの裏に深い象徴性が込められており、特に蝶というモチーフがドラマのテーマと密接に結びついています。
蝶=変化・再生・一瞬の命を象徴する存在として、物語の中で徐々にその意味を明らかにしていきます。
アゲハ蝶=成長と変化の象徴としてのメタファー
蝶は、幼虫から蛹を経て成虫になるという変化の象徴です。
この過程は、人間の成長や内面の変化、さらには“罪の意識”を抱えた人間が贖罪や許しを得ていくプロセスとも重なります。
特に『アゲハ蝶』の中に描かれる「ひとりきりで生きてきた」「君に逢えた それだけでよかった」という歌詞は、誰かとの出会いが人を変えるきっかけになるという深いメッセージを含んでいます。
これはまさに、登場人物たちが“過去の誰か”と再会し、自らの過去と向き合うこの物語の構造と一致します。
歌詞に隠された「逢えた、それだけでよかった」――“後悔”と“願い”としての意味
「逢えた、それだけでよかった」というフレーズには、どうしてももう一度会いたかった相手との再会が強く滲んでいます。
しかしその裏には、本当はもっと言いたいこと、伝えたかったことがあったのでは?という後悔や切なさが潜んでいるようにも聞こえます。
この“再会”の儚さは、ドラマに登場するキャラクターたちの内面とも深くリンクしています。
過去に何があったのか、どうして自分が「しの」を忘れていたのか――登場人物たちの葛藤と、「蝶」が象徴する“儚さ”“再生”が重なることで、視聴者にも複雑な感情が伝わってきます。
“しの”(園子/瀬戸紫苑など)と“蝶”の重なり――キャラ別考察
本作の中でひときわ異彩を放つ存在が、「しの」という謎の人物です。
卒業アルバムでは名前も写真も黒塗りで消されており、誰もが「いたことすら思い出せない」ほどの存在になっています。
しかし、物語が進むごとに“しの”は徐々に姿を見せ、その背後には強いメッセージと演出意図が込められていることが明らかになります。
しのの過去と現在:黒塗りの卒業アルバムが意味するもの
黒塗りされた卒業アルバムは、視覚的にも非常に強烈な印象を残します。
これは単なる“イジメ”や“排除”を表すだけでなく、その人物の記憶そのものを消し去る行為を意味しているように思えます。
そして、しの=瀬戸紫苑は、そんな自分の存在を“消された側”として、記憶を取り戻させる復讐劇の主軸に立つ人物だと考えられます。
ここに登場する“蝶”は、ただのモチーフではなく、しの自身の「もう一度、誰かの記憶に存在したい」という強い願いの象徴とも言えるのではないでしょうか。
蝶のモチーフが示す“再生”/“贖罪”という可能性
しのがなぜ“蝶”にこだわるのか、その答えの一つは、蝶が「生まれ変わる存在」だからです。
いったん地中で“死んだように”過ごす蛹の期間は、しのが「消された時間」と重なります。
そして、美しく羽ばたく成虫の姿は、再びこの世界に現れ、人々の記憶に蘇る彼女の姿と重なります。
また、蝶が軽やかに舞い戻るように、しのも過去を辿って登場人物の前に現れます。
しかしそれは単なる復讐ではなく、「何があったのかを思い出してほしい」「罪を償ってほしい」という切実な訴えなのかもしれません。
このように考えると、“しの”という存在そのものが、アゲハ蝶の歌詞とメタファーを具現化したキャラクターとして見えてきます。
オープニング映像の変化と“歌詞の2番起用”が示す伏線
『良いこと悪いこと』では、回を追うごとにオープニング映像の演出が変化している点にも注目が集まっています。
これはただの“演出の遊び”ではなく、物語の進行や登場人物の心理、そして真相に迫る伏線が散りばめられているように思えます。
また、「アゲハ蝶」の歌詞が2番に変化したことも、視聴者に強烈なメッセージを投げかけてきます。
毎話異なるキャラ・アイテムの描写と、それが意味するもの
オープニング映像では、毎回微妙に異なるキャラクターの描写や、小道具のカットが差し込まれています。
例えば、1話では「学校の階段」、2話では「焼却炉の前」、3話では「教室の窓越しの後ろ姿」など、過去にまつわる記憶の断片のようなカットが続きます。
これらは単なる背景描写ではなく、各キャラが抱える「忘れたい記憶」や「隠された真実」を象徴するものとして機能しています。
視聴者に「何かが変わっている」と気づかせ、映像そのものが“謎解き”の一部となっているのです。
歌詞が1番から2番へ――“時間のズレ”と“真相への狂気”
初期のオープニングでは、「アゲハ蝶」の1番の歌詞が使用されていました。
しかし中盤からは、歌詞の2番が使われるようになり、視聴者をざわつかせました。
1番は“出会い”や“願い”を描いた比較的前向きな内容ですが、2番では「儚さ」「行き場のない想い」など、より重く、内面に深く沈んだ世界観が展開されます。
これは、ドラマが進むにつれて“真相に近づいていくにつれ、物語が壊れていく”という構造を象徴しているように見えます。
さらに、歌詞の「僕の羽根が いつか空を舞う日まで」は、“しの”の願いや未練”にも通じるように思えます。
主題歌がただのBGMではなく、伏線や物語の進行と連動する重要な“語り部”になっているのです。
“良いこと/悪いこと”の境界にいる私たち――ドラマと視聴者の共鳴
『良いこと悪いこと』というタイトルは、誰にとっての“良い”で、誰にとっての“悪い”なのか。
その問いを物語を通じて私たち視聴者に投げかけています。
この倫理と記憶、善悪の境界線こそが、本作の最も深いテーマであり、視聴者の感情を強く揺さぶる部分です。
善悪のあいまいさを映すドラマと歌が重なる構造
「あのとき、何が“良いこと”で、何が“悪いこと”だったのか?」
この問いは、過去にしのを「黒塗り」した人物たちだけでなく、視聴者自身にも降りかかってきます。
特にアゲハ蝶の歌詞にある「間違いだらけのこの世界の中 君に出逢えた それだけでよかった」は、結果がどうであれ“誰かとの出会い”に救いを見出す視点を提示しています。
この構造は、ドラマの中で善と悪が明確に区別されていない点とも重なり、私たちの現実の判断基準の曖昧さにも静かに問いかけてきます。
視聴者が“過去”と向き合うきっかけとしてのアゲハ蝶
『アゲハ蝶』という楽曲が視聴者に与える印象は、“懐かしさ”だけではありません。
それは自分自身の「忘れたい過去」や「見て見ぬふりをしてきた記憶」と向き合うきっかけを与える存在でもあります。
ドラマの中で登場人物たちが、かつての行動を振り返り、責任と後悔に葛藤する姿は、多くの視聴者にとって“他人事ではない”と感じさせるものです。
特に、「蝶」のモチーフは、“過去から自由になり、もう一度飛び立つこと”の象徴として、希望と恐れの両面を描き出しています。
こうした演出によって、ドラマは単なるミステリーを超え、視聴者の“内面の記憶”にも作用する心理的ドラマとして成立しているのです。
『良いこと悪いこと』『アゲハ蝶』『しの』という関係性のまとめ
ここまで見てきたように、『良いこと悪いこと』というドラマは、ただのサスペンスではありません。
その根底には、“記憶の操作”や“善悪のあいまいさ”といった、現代人にも共通する問いが深く潜んでいます。
そしてそれを彩る存在として、「アゲハ蝶」という過去と現在をつなぐ鍵が選ばれているのです。
しのという存在は、“過去に消された少女”として描かれますが、その立場は単なる被害者ではありません。
彼女は、過去を暴く者であり、同時に自らも何かを抱えて再生を目指す蝶のような存在でもあります。
卒業アルバムの“黒塗り”が意味する「記憶の抹消」に対し、彼女が物語の中で蘇っていく様子は、まさに蛹から成虫へと変化する蝶のメタファーと重なっていきます。
そして、「アゲハ蝶」の歌詞が描く“出会い”や“再会”、そして“儚さ”は、彼女だけでなく、物語に登場するすべてのキャラクターに共通する感情です。
誰もが過去に何かを抱え、忘れようとし、でも本当は誰かに「気づいてほしい」と願っている。
だからこそ、『アゲハ蝶』がこの物語に響き、そして視聴者の心に強く残るのです。
『良いこと悪いこと』という作品は、過去と向き合うことの痛みと、それでも前に進むという選択を、歌とキャラクター、そして演出のすべてで私たちに問いかけています。
そして、“しの”という蝶のような存在が、物語を超えて視聴者の記憶に羽ばたいていく――。
それが、この作品最大のメッセージなのかもしれません。
- ドラマ主題歌「アゲハ蝶」が持つ深い意味
- “しの”という存在が象徴する再生と記憶
- 黒塗りの卒業アルバムが語る過去の罪
- 蝶=変化・贖罪のメタファーとしての演出
- オープニング映像と歌詞2番の仕掛け
- 「良いこと/悪いこと」の曖昧さへの問い
- アゲハ蝶が視聴者の記憶を揺さぶる理由
- キャラクターの内面と歌詞の共鳴


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